りんご農家が営むカフェが大人気(青森市浪岡)

実家のおいしいりんごと厳選材料で
奇をてらわないシンプルで上質な味を。
りんご農家の長女が営むローカルなカフェ
 
 
青森空港から車で15分程度の距離にある青森市浪岡地区。かつては人口2万人ほどの小さな町で、日本一のりんご生産量を誇っていました。
大型スーパーやホームセンター、全国チェーンの衣料品店などができるとともに、地元の個人商店が減り、さびしくなってしまった駅前商店街。そこに、2012年10月1日、なんの告知も宣伝もなく、かわいらしいカフェが忽然と姿を現したのです。
 
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カフェの名前は『pommiel(ポムミェル)』。一見して何のお店かわからず、前を通る人は中をのぞき込むこともなく、素通りするばかり。そもそも人通りは少なく、冬に向かって冷え込みが厳しくなるその時期は、ますます歩く人が減る雪国の片田舎の通りなのです。
 
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店内では、オーナーの兼田亜希子さんが厨房でせっせとシュークリームを焼き、ドリンクと接客を担当する妹の貴子さんはホールでグラスやカップを磨き上げて、お客さまを待ち受けていました。
「オープンから5日間はドリンクのみ提供し、その後、シュークリームを売り始めたのですが、開店から1ヵ月くらいは、まったくといっていいほどお客さまがいらっしゃいませんでした。焼き上げたシュークリームは毎日泣く泣く廃棄していたんです」
その日に売るシュークリームはその日に仕込むのが、亜希子さんのポリシー。残ったからといって、次の日に売ることはしません。カスタードクリ—ムは使う分だけを毎日炊き、冷凍保存はしないといいます。「いつでも、ちゃんとしたものを出したい」。それがオーナーとしてのこだわりなのです。
 
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手前から、ホッペシュー(デニッシュ生地)、ポムホッペシュー(デニッシュ生地、りんごソテー入り)、ポムシュー(シュー生地、りんごソテー入り)。カスタードクリームと生クリ—ムを合わせたクリームが絶妙です。
 
 
しかし、なぜ、繁華街でもないこの場所にカフェを出そうと考えたのでしょう。
 
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その理由は「家族の絆」を取り戻すことにありました。
亜希子さんは浪岡地区のりんご農家の長女です。盛岡の美容専門学校を卒業後、東京で美容師として働き、多忙な日々を過ごしていました。そんなある日、ふと「実家の畑は大丈夫かなぁ」と心配になったといいます。
亜希子さんの実家の『カネタ農園』では、りんごをメインに、さくらんぼ、メロン、すいか、野菜各種を育てています。4ヘクタールの畑の農作業は、家族が中心となって行っています。
気づけば、上京して5年が経っていました。3年間下積みを続け、美容師デビューを果たしたのは同期入社13人中12番目。スロースターターだったこともあり、必死に働いているうちに、故郷を思い出す余裕がなくなっていました。電話をかけることすら思いつかずにいたのです。
盛岡の学生時代を含めれば、もう7年も実家を離れていました。
ずいぶんと久しぶりに実家に電話をかけた亜希子さんは、そのとき初めて、妹の貴子さんが病気を患って苦しんでいることを知ったのです。
家族が大変な思いをしているのに、長女のわたしは何も知らずに自分のことばかり……。そんな自責の念にかられ、このまま東京にいていいものか思い悩んだといいます。そして、最終的に、美容師の仕事を辞めて帰郷し、実家の農業を手伝うことを決意しました。
「実家の畑で穫れるものは、本当になんでもおいしかった」。その記憶も背中を押しました。実家に帰って、長女の自分が働き手に加わって畑を守り、家族の絆も取り戻さなくては。心にあるのはその一念でした。
 
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シュークリームにも使っているカネタ農園のりんご。
 
 
それから1年間、実家の農作業を手伝った亜希子さん。畑にいると心が晴れ晴れし、自分にはのんびりした田舎の暮らしや農業が向いていると思い始めたといいます。が、その一方で、市場価格の変動に振り回されて一喜一憂する生産者の立場を理不尽に感じ、なんとかしたいとも考えていました。
 
両親が一生懸命育てている作物は本当においしいのだから、もっと大事に生かしていけないだろうか。実家の畑で収穫した果物や野菜を使って何かつくれないだろうか。
漠然とながら、亜希子さんの中に、そんな思いが芽生えてきました。そして、その思いを形にするために、再び、東京へと向かいます。上京の目的は、カネタ農園の収穫作物を生かすためのスキルを身につけること。レベルの高い飲食店でアルバイトをしようと決めていました。
じつは、亜希子さんは、青森市の東奥学園高等学校の調理科を卒業しています。調理の基礎知識と技術は身につけており、美容師としての接客の経験もありました。そして何より、誰の目にも明らかな“意欲”がありました。
 
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「まず、イタリアンレストランのフロアサービスを経験し、その次に、フレンチレストランの厨房で働きました。料理を覚えられるのはありがたかったのですが、あまりに忙しくて、そのスピード感についていけず、私にはシェフは無理だなぁと思ったんです。
そして、パンならマイペースで作業ができるから向いているんじゃないかと思って、バイト先を探し始めました。でも、働きたいと思うベーカリーやブーランジェリーはどこもパン職人の経験者の募集のみ。未経験者でも大丈夫なお店を必死で探して、ようやく見つけたのが、代々木上原にある人気ベーカリーのパンの製造補助の募集でした。すぐに連絡をして面接に行くと、その場で採用が決まり、明日から来て下さいと言われたんです」
そのベーカリーは地下にカフェを併設しており、店頭で販売するパンと、カフェで提供するパンを焼くために、午前3時からフル稼働していました。亜希子さんは午前6時からの勤務だったものの、一日中立ちっぱなしのハードな仕事。指示された通りに、タルト生地を型に敷き、パンのフィリングを仕込み、カスタードクリ—ムを炊き、シュー生地を絞り出し、まさに補助作業に明け暮れる毎日だったといいます。
 
「いつまで経っても補助のままで、パン生地にはさわらせてもらうことができませんでした。近くで作業を見てはいるものの、実際に自分でつくってみなくては身に付かないと思って、店が休みの日に、パン教室に通い始めたんです。そこで初めて、パン生地にさわり、パンを丸めるところから教わりました」
そうこうするうち、カフェのスタッフに欠員が出て、亜希子さんはベーカリーではなく、カフェのスタッフとして働くことになりました。
「パンの製造にまったく携われなくなることは残念でしたが、少ない人数で満席のカフェのサービスと厨房の作業をこなした経験は、いま、とても役に立っていると思います」
しかし、ここでもやはり、スピードを重視する営業スタイルに違和感を感じるようになり、2年半勤めた店を辞めることを決めたのです。そのとき、亜希子さんは31歳になっていました。
 
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そうして帰郷したのが2012年5月。りんごの実すぐり(摘果)作業から収穫時期まで、畑仕事を目一杯手伝いながら、これからのことを考え続けていたといいます。
「店を開くことは決めていました。ただ、パン教室にトータル1年半くらい通って成形や焼成の一通りの技術は身につけたものの、パンがいいのか、他の何かがいいのか、決めかねて、ずっと悩み続けていたんです。
そんな時、ベーカリーで製造補助をしていた頃に『カネちゃんはカスタードを炊くのがうまいよね』と言われたのを思い出しました。それで、シュークリームをやろうかな、と。シュークリームだけを売るお店はここにはないから、シュークリーム屋さんを始めてみようと思いついたんです。
大量のカスタードクリームを炊くのって、結構力がいるんですよ。農作業で筋肉がついたので、腕力があるんです、わたし(笑)」
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バニラビーンズの甘い香りが漂う厨房。カスタードクリームは、1回に5〜7キロを仕込むといいます。力の加減をしながら銅鍋をかき混ぜ続け、ちょうどいいとろみになった頃合いを見計らって火を止めます。端から見ていても、思わず手に力が入ってしまう作業。シュークリームは6月頃をめどにいったん販売を休止し、今年のりんごの収穫期から再登場の予定とか。
 
 
それにしても、10月1日開店だったにもかかわらず、秋になってから店舗探しを始めたというから驚きです。
「いま入居している建物は、私が中学生の頃からあって、学校の行き帰りに前を通っていました。好きだったから気になっていて、そういえば、空室ありと書いてあったなぁ、と思い出して不動産屋さんに行ったんです。そうしたら、もうすぐ1階が空くよと言われて。路面店という希望通りの物件だったので、空いてすぐに契約し、リフォームの工事を始めました。
同時に、什器や備品、材料も、調べながら一気に買い揃え、シュークリームの試作もしていたので、本当に慌ただしくて、告知をする時間がなかったんです(笑)」
 
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カフェの内装を手がけたのは貴子さんのお知り合いがいる地元の工務店。無理を承知でお願いし、ごく短期間でリフォームを仕上げてもらったのだとか。
 
 
こうして忽然と姿を現した『pommiel』。ポム(pomme)はりんご、ミェル(miel)ははちみつを意味するフランス語で、カネタ農園で穫れる2つの素材をつなげた造語だといいます。カネタ農園のりんご畑には、毎春、三戸の養蜂家・平さんが蜜蜂の巣箱を設置して、りんごの蜂蜜を採取しています。お店で使用するはちみつはすべて、このカネタ農園のりんごの花から採れたものです。
「カネタ農園を表すのに欠かせないものはなんだろう、と考えていて思いついた店名です。これからはpomをお店のニックネームとして使いたいと思っているんです」
 
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オーナーの兼田亜希子さん。
 
オープン間もなく、お客さまが少なかったとき、朝、サンドイッチを出したら買っていただけるだろうか、と考えた亜希子さん(pommielの営業は、なんと朝7時半からなのです)。この辺ではあまり売られていないからベーグルはどうだろう。なんといっても形がかわいいし。すぐに材料を取寄せて試作を始め、試行錯誤を続けました。試食担当は、ご家族とご親戚です。
「父は最初ベーグルが食べられませんでした。でも、粉や配合やつくり方を変えながら、2回、3回と試作を重ねるうちに食べられるようになったんです。それで、このレシピなら大丈夫だろうと思って、10月末頃から店頭に並べ始めました。
シュークリームもですが、ベーグルを出した時も最初は不安でした。でも、売り始めてすぐの頃、毎朝買いに来てくださるお客さまがいらして、『ここのパンじゃないとだめなのよ』とおっしゃってくださったんです。
それでようやく、ああ、これでよかったんだ、とほっとして」
小心者なんです、と言って笑う亜希子さん。
 
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ベーグルづくりには“ケトリング”といって、発酵させたパン生地を湯通しする工程があり、お湯に通した生地は時間を置かずにすぐに焼かなければなりません。だから、段取りのよさがとても大切です。そもそもパンは、発酵の見極めと成形のスピードが勝負。
「美容師時代にパーマやカラーリングを毎日やっていたので、時計を見なくても感覚でだいたいの時間をはかれるようになりました。その経験が生かせていると思います。厨房で立ち仕事を続けていても平気なのも、美容師時代に鍛えられたからです」
店頭の在庫をチェックしながら、てきぱきと手際よく作業を進め、品切れしそうなベーグルを足していきます。1回に焼けるベーグルは15個。常に焼き立て、出来立てを店頭に並べるために、亜希子さんは一日中厨房で作業をしています。午前3時半から店で仕込みを始め、店が終わったあとも作業をして、午後8時に店を出る毎日。いまは、近所の病院の売店にもベーグルを卸しているので配達もあります。目の回る忙しさですが、それでも手を抜かず「ちゃんとしたものが出したい」亜希子さん。
 
「家庭でもつくれるような、ベーシックで、できるだけ多くの方に受け入れてもらえるものをつくりたいと思っています。シンプルなものをていねいにつくって、おいしい状態で召し上がっていただきたいんです」
 
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いまや大人気のベーグル。右上から時計回りに、ココナツミルク、プレーン、レーズン、チーズ、セサミ、チョコ。この他、さまざまなフィリングのベーグルサンドも含め、10種類以上が店頭に並んでいます。
 
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カプチーノと、キャロット&ツナのベーグルサンド。
 
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お客さまのリクエストで始まった焼きりんご。注文から焼き上がりまで40分ほどかかるものの、それでも待って召し上がっていかれる方が多いとか。バター、シナモン、カソナードを詰めて焼き上げたりんごにアイスクリームをトッピングしてあります。6月頃まで販売予定。
 
pommielは、現在、すでにかなりの人気店で、客足が途絶えることがありません。きっかけはベーグルの評判がネット上の口コミで広まったこと。シュークリーム屋さんのはずが、ベーグル、スコーン、ガトーショコラ、焼きりんごとメニューが増え、いまはタルトを試作中とか。昨秋収穫したりんごのストックがなくなる6月以降は、シュークリームと焼きりんごの販売を休止し、スムージーなどのどごしのいいドリンクメニューを増やす予定だといいます。
 
 
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貴子さんも、カフェ開店準備に向けて、パン屋さんやドーナツ屋さんで経験を積んできました。浪岡地区のお店では見かけない本格的なエスプレッソマシンは、亜希子さんがどうしても導入したかったもの。
 
 
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カフェのガラスのドアを開けると、貴子さんの笑顔と「いらっしゃいませ」の声が迎えてくれます。焼きりんご以外のメニューはほとんどテイクアウト可能です。
 
貴子さんの体調が回復し、一緒にカフェを切り盛りしているいま、連日の睡眠不足と多忙さにもかかわらず、亜希子さんの笑顔は輝いています。
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「自分たちがここでカフェを始めたことで、街が少しでも元気になって、子どもたちに夢を持たせてあげられたらいいなと思っているんです」
 
取材中、高校生とおぼしき女の子たちが焼き菓子をひとつずつ買っていく姿を見かけました。pommielの焼き菓子には、発酵バターやヴァローナ社のチョコレートなど、上質な素材が使われています。それでも価格は150円から。ドリンクも300円程度。地元の人たちが買いやすい価格に抑えてあるのです。これは、主婦でもある貴子さんの提案。誠意と良心を感じる価格設定も人気の秘密だといえるでしょう。
 
 
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ベーグルのようなほっぺがかわいい貴子さんのご子息・祷悟(とうご)くんと、お母さんのえり子さんもカフェの助っ人として活躍中。
 
カネタ農園の作物が収穫期を迎えたら、カフェの前にマルシェスペースをつくって、販売する予定だといいます。カフェが忙しくなってしまい、農作業を手伝えそうにないのが、亜希子さんの目下の悩み。自分たちの代わりに、農作業を手伝ってくれる人を探さなければなりません。また、カフェもいまはもう家族だけでは手が足りず、スタッフを募集予定だといいます。
 
 
家族の協力を得ながら、着々と、自分が思い描いていた夢を現実のものにして、歩み始めた亜希子さん。このままカフェオーナーの道を邁進するのかと思いきや、最終目標は、カフェを貴子さんに任せて、自分は農業をすること。
「畑で作業している時間が本当に好きなんです。鳥の声を聴きながら、りんごの葉っぱをとったり、休憩中に地べたに座って空を眺めたりしていると、ここは、なんてのどかで、いいところなんだろうとしみじみ思います。
この土地に不満があるとすればひとつだけ。冬の除雪です。時間があるときならなんということはないのですが、仕事の合間にやらなければならないのが大変で。それ以外は本当にいいところ。この浪岡が大好きです」
 
カネタ農園で生き生きと働く亜希子さんの姿も、いつかきっと、また見られるはずです。
 
 
 
pommiel/ポムミェル
 
 
 
 
 
撮影/成田 亮